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元「人気アイドル」が殺害されるケースも… なぜか軽視されるストーカー被害 「痴情のもつれ」で片付けてはいけない理由

世間を騒がせた事件・事故の歴史

 

■江美さんとSの出会い

 

 江美さんと14歳年上のSの出会いは1968年だ。レ・ガールズの活動と並行してソロ歌手としてデビューした際、レコード会社の担当ディレクターがSだった。グループ活動停止後も順調で、1971年には『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送系)の初代司会者を務め、俳優として映画『呪いの館 血を吸う眼』のヒロインを演じている。

 

 ところが、1972年に21歳の若さで引退。これは、江美さんと既婚のSが恋愛関係にあり、それを苦にしたSの妻が自殺してしまったことが理由だと報道されたことがある。

 

 表舞台を去った江美さんは、1973年頃から「中里綴」名義で作詞家に転向した。再出発時もSとの関係は続いており、一緒に暮らしていたようである。よほど互いに離れがたい存在だったのだろう。8年後の1981年には2人は正式に結婚したのだった。

 

■離婚直後から2年間にわたり殺害を計画

 

 江美さんは、1975年に南沙織に提供した『人恋しくて』などのヒットもあり、作詞家としての地位を確立。80年代には中森明菜、堀ちえみなどのアイドルの楽曲で作詞を担当している。

 

 1986年3月以降はペンネームを「神田エミ」と改め、少年隊のシングル曲やミュージカル関連曲に関わった。このように仕事は順調だったが、結婚生活は長く続かず、1985年末に離婚。神田エミと名乗るようになったのは離婚とほぼ同時期である。

 

 Sは「(殺害を)2年前から計画していた」と証言したが、それが本当ならば、離婚直後から殺意を抱いていたということである。一方で、別れた江美さんにつきまとう中で、復縁を求める言動も見られたようだ。そこはストーカー特有の矛盾なのかもしれない。

 

■「痴情のもつれ」「愛憎劇」として消費されてきたストーカー被害者たち

 

 裁判の結果、Sには懲役12年の実刑判決が下された。

 

 繰り返しになるが、この事件が起きた当時、ストーカー行為に対する社会的認識や法的整備は不十分だった。著名人である江美さんのほかにも、命を奪われた名もなきストーカー被害者が数多く存在し、「痴情のもつれ」「愛憎劇」といった俗っぽい表現でメディアに消費されてきた。ストーカー犯罪が矮小化され、被害者の苦しみや無念が軽視されていた時代は長かったのだ。

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ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

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